二つの用語(引用と借景の旅⑨)

『引用と借景』出版から、無意識的ですら、この二つの用語の網の目を通してアートを眺め続けている。
いつまで続くことか。
しかし本来、用語と作品はイタチごっこの関係にあり、用語が作品をとらえる、作品が用語の手をいともたやすくすり抜ける、この繰り返しだ。

文化庁新進芸術家海外研修制度50周年記念展のポスターを目にし、引用も借景もふんだんに見つかろうと、さて、会場に入るや、心地よくも用語を忘れることができた。
今井信吾「裸婦座像」、斎藤研「風景」、遠藤彰子「明日」、安達博文「ドローン」、山内和則「室内」、石黒賢一郎「SHAFT TOWER」、金子亭「春の暮」、大場再生「花火のような記憶」、元田久治「Foresight・Shibuya Center Town」、そして川村悦子「黄いろい花」。
またしても川村の文章を読み込んでしまう。

名古屋市美術館(引用と借景の旅⑧)

名古屋市美術館に来るたびにこの空中に引用されたかの男を見ることすでに三十余年。
あらためて引用という観念を頭におき常設展を見直すと、ディエゴ・リベラの「プロレタリアの団結」、三岸好太郎の「海と射光」、赤小川源平の「あいまいな海」シリーズと、この用語の奥行きの深さに思い至る。