『引用と借景』出版から、無意識的ですら、この二つの用語の網の目を通してアートを眺め続けている。
いつまで続くことか。
しかし本来、用語と作品はイタチごっこの関係にあり、用語が作品をとらえる、作品が用語の手をいともたやすくすり抜ける、この繰り返しだ。
文化庁新進芸術家海外研修制度50周年記念展のポスターを目にし、引用も借景もふんだんに見つかろうと、さて、会場に入るや、心地よくも用語を忘れることができた。
今井信吾「裸婦座像」、斎藤研「風景」、遠藤彰子「明日」、安達博文「ドローン」、山内和則「室内」、石黒賢一郎「SHAFT TOWER」、金子亭「春の暮」、大場再生「花火のような記憶」、元田久治「Foresight・Shibuya Center Town」、そして川村悦子「黄いろい花」。
またしても川村の文章を読み込んでしまう。
文・写真|栂正行
当記事は書籍『引用と借景』に関連した旅と風景、印象を著者の許可を得て公開しています。
記事内容は紙の書籍内には含まれていません。
『引用と借景 文学・美術・映像・音楽と旅の想到』(栂正行著)
アートを追って人はどこに到着するのか。
鉄道を乗り継ぎながら思索の糸で縦横無尽にアートを連結。
各地のパブリック・アート、美術館・博物館・文学館などを訪ねつつ、
文学・美術・映像・音楽を参照、
モノ・ことば・こころの関係を問いながら、
作品に見られる「引用」と「借景」の営みをたどるアートの意味論。