波が岩を削る。
自然がその一部を削る。
ここに人の介在はない。
ところが人は二つの岩に
夫婦岩という言葉をあて
元来なかった意味を
付与する。
以後、あとから来たものは
二つの岩を夫婦岩としか
見られなくなる。
命名という創造行為は
容易には揺るがない。

(三重県伊勢市・二見興玉神社、2018年12月)
波が岩を削る。
自然がその一部を削る。
ここに人の介在はない。
ところが人は二つの岩に
夫婦岩という言葉をあて
元来なかった意味を
付与する。
以後、あとから来たものは
二つの岩を夫婦岩としか
見られなくなる。
命名という創造行為は
容易には揺るがない。
その日、金谷から山道の麓の茶店にタクシー。
そこから旧東海道に入ろうと、店で道を確認すると、連日の雨で裏手の道からは登れないという。
約40分遠回りし、旧東海道に入る。まずは上りの急勾配。
少し登っては休み、登っては休み。
やがて道は平坦になり、一安心し、風に吹かれていると、西行の歌碑に至った。
西行が高齢をおして東国への旅に出た時の歌。
遥か遠くに浜松のアクトタワーが見え、あとは茶畑。
さらに進むと、今度は芭蕉の句碑。芭蕉は西行の旅を模倣。
しかし同じ地を文字にして新たな認識を創造。
とかくするうちに、道は急な下り坂。
日坂の宿に到着。
高低差の中、歌碑や句碑を堪能しての三時間の歩行。
芭蕉は馬に跨っていた様子だが。
2019年早春、静岡県静岡市で現代美術を歴史化するかの企画展が二つ並んだ。
ひとつは静岡駅前の交通至便の極み、静岡市美術館の1980年代を俯瞰する企画(「起点しての80年代」)。
1980年代があって21世紀の今がある、あるいは今は1980年代をとっくに凌駕しているという議論。
これに静岡県立美術館の1968年のアートに焦点を当てた企画展(「1968年 激動の時代の芸術」)を加えると、1968年、1980年代、今の三つの時が絡み合う。
アートの世界に見る新旧論争的な語彙で語れる状況(『創造と模倣』84頁「古くからあるアポリア」参照)を、東京から、名古屋から1時間のところで理解できる。