貨車とコンテナ -『創造と模倣』の旅④

東からの新幹線で浜松駅を過ぎるとすぐのところ、北側の窓から多数のコンテナが見える。 生まれたときからコンテナのあった世代は、コンテナの出現以前に無数の貨車が操車場で入れ替えられていたことを知らない。 たとえばさいたま副都 […]

夫婦岩 -『創造と模倣』の旅③

波が岩を削る。 自然がその一部を削る。 ここに人の介在はない。 ところが人は二つの岩に 夫婦岩という言葉をあて 元来なかった意味を 付与する。 以後、あとから来たものは 二つの岩を夫婦岩としか 見られなくなる。 命名とい […]

西行の歌碑、芭蕉の句碑 -『創造と模倣』の旅②

その日、金谷から山道の麓の茶店にタクシー。 そこから旧東海道に入ろうと、店で道を確認すると、連日の雨で裏手の道からは登れないという。 約40分遠回りし、旧東海道に入る。まずは上りの急勾配。 少し登っては休み、登っては休み […]

起点としての80年代 -『創造と模倣』の旅①

2019年早春、静岡県静岡市で現代美術を歴史化するかの企画展が二つ並んだ。 ひとつは静岡駅前の交通至便の極み、静岡市美術館の1980年代を俯瞰する企画(「起点しての80年代」)。 1980年代があって21世紀の今がある、 […]

二つの用語(引用と借景の旅⑨)

『引用と借景』出版から、無意識的ですら、この二つの用語の網の目を通してアートを眺め続けている。 いつまで続くことか。 しかし本来、用語と作品はイタチごっこの関係にあり、用語が作品をとらえる、作品が用語の手をいともたやすく […]

名古屋市美術館(引用と借景の旅⑧)

名古屋市美術館に来るたびにこの空中に引用されたかの男を見ることすでに三十余年。 あらためて引用という観念を頭におき常設展を見直すと、ディエゴ・リベラの「プロレタリアの団結」、三岸好太郎の「海と射光」、赤小川源平の「あいま […]

フォイルズの絵はがき(引用と借景の旅⑥)

『わたしを離さないで』の主人公キャシーとその寄宿学校の生徒たちならいざ知らず、高齢になっても手放せず箱にしまいっぱなしというモノがある。 キャシーたちが閉ざされた空間の中、モノを箱に大事にしまいこんでおくというのはよくわ […]

クレーン車(引用と借景の旅⑤)

クレーン車は、目的の場に次々と資材を引用していく。 やがて資材は引用されたものからひとつの建築物へと変わり、その場に自らの存在を誇示する。 自らが引用物の集合体であることも忘れて。 ちなみにクレーン車のクレーンの裏側には […]

蓑虫庵(引用と借景の旅④)

伊賀上野は芭蕉の生誕地。 生家、菩提寺、記念館、そして蓑虫庵と芭蕉縁の場はいくつもある。 芭蕉は四十歳台に大きな旅をいくつもした。 大阪で「旅に病ん」だ時の目的地は長崎であったともいう。 ところで、「引用と借景の旅」のた […]

本間美術館・鶴舞園(引用と借景の旅③)

鶴舞園の庭に入ると同時にその美しさにしばし立ち止まる。 そういう庭はそうあるものではない。 ふとわれにかえり、庭の高低差を楽しみながら移動する。 建物に入り、今度は中から庭を眺め、もう一度、庭の美しさに目を奪われる。 入 […]

山頂は強風(引用と借景の旅②)

静岡県、新富士駅付近から見た富士山。 あたりが晴れ渡っているだけに、山頂の雪けむりが風速の強さを物語る。 山のように大きな船が疾駆するときの水しぶきを連想させる。 (2017年12月下旬|新富士駅付近) 文・写真|栂正行

焼津小泉八雲記念館(引用と借景の旅①)

書籍『引用と借景』を著した著者による、アートを巡る旅の続きを描く「引用と借景の旅」シリーズ。 焼津小泉八雲記念館。『怪談』などで知られるラフカディオ・ハーンは、ギリシャ生まれのイギリス人。ヨーロッパ、アメリカを経て、島根 […]

琉神マブヤーでーじ読本

数あるローカル・ヒーローの中でもひときわ異彩を放ち、もはや沖縄文化の一角を担っていると言っても過言ではない『琉神マブヤー』。その魅力に取り憑かれたカリブ文学の研究者が、同シリーズを解説しながら、文化としてのヒーローの哲学 […]

『焼岳小屋・小屋開け小屋締め』

北アルプス南部の活火山・焼岳にほど近い小さな山小屋、焼岳小屋の春の小屋開け、初冬の小屋締めの様子を写真に収めた記録集。焼岳は深田久弥著の『日本百名山』に取り上げられた山の一つで、名勝・上高地の近く、アルプスの香炉とも呼ば […]